モントレーカウンティー歴史の旅 - Steinbeck Country -
スペイン人がミッションを作る前の、インディアンの歴史や工芸品、道具などは博物館(特にPacific Grove Museum of Natural History)やミッションに展示されています。この地域のインディアン、オローニ(Ohlone)は狩猟民族であり、大規模な村跡はありませんが、Monterey Presidio付近には埋葬地が発掘されています。

モントレーに最初に上陸(1602)したのはスペイン人探検家(Sebastian Vizcaino) 、Presidioには小さな記念碑があります。 Montereyの名前はVizcainoの探検を手配した総督の名前からつけられました。しかし、それから150年後の1770年、Captain PortolaとFatherとJunipero Serraの入植までスペインはモントレーを無視しています。
1770年の最初のミッションはChurch St.とAbrego St.にPresidio(砦)と共に建てられ、ミッションは翌年カーメルに移動しています。

19世紀の始まりは、メキシコからの移民でモントレーは賑わい始めます。そして1822年のスペインからのメキシコの離脱により、メキシコ政府はモントレーを海外との貿易港として開港します。それと同時に多くの商人が流れ込み、それらのビジネスをサポートするための多くの建物が建築されます。

税関(Custom House)やCooper Molera AdobeはMonterey Historic Parkの一部として保護されています。
Monterey Historic Park(831-649-7118)は歴史的に価値の高い当時の建物を、Pass of Historyとして公開しています。
1848年カリフォルニアは合衆国の所有になり、Chaplain Walter Coltonが最初のモントレーの指導者(Mayer)になり、コルトンホール(Colton Hall)と呼ばれる集会所、学校を建造する。
1849年にカリフォルニアの全土から48人の代表がコルトンホールに集まり、ここでのドラフトにより、カリフォルニアは第31番目の合衆国の州となります。しかし州都はサンホセが選ばれ、政策の中心地としてのモントレーは消失することになります。
1822年から始まったモントレーの高度成長はここで終わり、モントレーは活気のない破産寸前の田舎町になります。

しかし、ヨーロッパやアジアからの漁師が捕鯨を中心に活動を始めますし、Robert Lewis Stevensonなど小説家、写真家Westonなど沢山のアーティストが自然の美しさに惹かれて集まります。
1879年にはSouthern Pacific Railwayがモントレーまで繋がり、サンフランシスコなどから多数の観光客をもたらし、Del Monte Golf Courseなどの開発で観光産業が盛んになります。
1900年代はイワシを中心にした缶詰工場Canery Rowが賑わい、スタインベックがここで働く人達を舞台とした小説を発表します。小説キャナリーローの舞台となった缶詰工場街の成功は、日系人が最も大きく関与しています。
モントレーの名を世界中に有名にしたのは、やはりノーベル賞受賞作家ジョン・スタインベック(John Steinbeck 1902~1968)でしょう。モントレー半島、サリーナスバレーを舞台にしてキャナリーロー、Sweet Thursday, 二十日鼠と人間、Tortilla Flatなど数々の小説が書かれています。 上の写真は二十日鼠と人間にも登場するサリーナス川の現在の風景です 。

当地を訪れる前に、スタインベックの小説あるいはビデオをご覧になれば、その当時のイメージがそのまま現在に引き続いていることを確認できるでしょう。

サリーナスにはスタインベックの生家があり、そのダウンタウンにはSteinbeck Center(831-775-4720)があります。ここでは、右写真のように、複数のスクリーンで代表的な映画を見ることもできますし、スタインベック時代のあらゆる資料が展示されています。
スタインベックの父親が経営していた飼料店が近くにありましたが、現在はコーヒーショップになっています。この辺り(Old Town Salinas)には古い建物が残っていますから、散策してみるのも楽しいでしょう。