モントレー日系人の歴史 - Part1 -
モントレーの日本人移民の歴史は19世紀末に始まり、特に漁業関係者の活躍が目立ちます。
ポイント・ロボス州保護区(カーメルの南)には、日系人の経営するアバロニ(あわび)加工の施設がありました。現在はポイント・ロボスのWhaler's Coveの岸辺にその当時の潜水用具などを展示した小さな博物館(左写真)があります。

最初のヨーロッパ人の探検家がこの地を訪れたのは1602年、それ以前の何千年にも渡りモントレー周辺には総称でオローニ(Ohlone)と呼ばれる200人規模の原住民族が各地におりました。

モントレーの豊かな自然は、何千年にも渡り彼等に豊富な食料を供給していました。海には魚類やアバロニなどの貝類が豊富にあり、陸には木の実、鳥やほ乳類もたくさん生息していました。それは今日のモントレーにも見ることができます。
しかし、何千年にも渡り平和を維持してきたインディアンもスペイン人の入植に伴い、短期間でほとんど絶滅することになります。1770年にはスペインの宣教師によりカーメルミッションが建設され、カリフォルニアは1822年までスペイン領土となります。そして、1822年にメキシコがスペインから独立を勝ち取り、さらに1848年にはアメリカ合衆国に併合されます。

1850年代初期には中国人が住み着き(カリフォルニアで最初の中国漁民の居住地とされる)、豊富なアバロニは数百人の中国人を養うのに十分なビジネスにまで成長したと伝えられています。この当時の建物の一つが現在の博物館です。
1890年代初期に、野田音三郎という熊本出身の労働契約者が日本人の漁師集落を作り、主にサーモンでキャナリー・ロー近辺で活躍しました。

1895年に野田はモントレーからパシフィック・グローブを調査し、アバロニの豊富な資源を発見します。そしてビジネスとしての可能性に注目し、日本の当時の農林省にこれを報告します。日本政府は慶応大学に調査依頼をし、小谷源之助が1897年に派遣されます。
彼の出身地である千葉県から潜水夫の協力を得ましたが、千葉では可能であった素潜りはこの寒流海域では不可能なため、ヘルメットと手動で空気を送る潜水用具などを導入し、深い水域でのアバロニ収穫を可能にしました。
このヘルメットを使った潜水用具の導入はこの業界に革命をもたらしたといっても過言ではありません。1898年にAlexander M. Allanとのパートナーシップにより作られたPoint Lobos Canning Companyはカリフォルニアのアバロニ収穫の75%〜80%を占める程の成功を収めています。

19世紀末のこの日系人の大きな活躍は、モントレーの日本人にとって移民生活の起源とも言えるでしょう。小谷氏は30年以上にわたってこの事業を経営する一方、9人の子供を作り、1930年に他界します。
その後アバロニの減収と大恐慌も重なって、Point Lobos Canning Companyは1931年に幕を閉じます。1933年カリフォルニア州はAllan氏からこの土地を買い取って州立公園とし、現在のPoint Lobos State Reserveとなります。

小谷村(Kodani Village) はもう存在しませんが、各所に散らばった貝殻は長年にわたるアバロニ収穫の規模を物語っています。Whaler's Coveはモントレーでも最も美しい所と言われ、その美しさはなぜか日本の昔の海岸の風景に通じるものがあるようです。一世の人達が初めて夢を現実にしたこの場所は、日本からの観光者にも是非訪ねて欲しい所です。
Whaler's Coveはほぼ完全な円形の湾(写真下参照)で、ダイビングをするには許可が必要です。

モントレーの日系人の歴史 - Part2 -に続く

現在のWhaler's Cove - 手前駐車場が缶詰工場、正面ほぼ中央にKodani Villageの跡、右側林の中に博物館がある-