Early Days of カリフォルニア〜モントレー
カリフォルニアは、その地名にスペイン語が非常に多いことからも、スペイン人のキリスト教伝導士が強く影響していることが解ります。
カリフォルニアには合計21のミッション(伝道所)が建てられました。それらを結ぶEl Camino Real(王様の道)は原住民しかいなかった土地にたくさんの人を導く道となり、その結果として原住民はほとんど絶滅し、今日に繋がる文化をもたらした王道になりました。
今日でもかつての王道を示すサインが各所に置かれています。1769年に建てられた最南端のサンディエゴミッションから始まり、1823年の最北端のサンフランシスコ(Solano)ミッションまで21あります。ほとんどのミッションは修築され、カリフォルニアの歴史を学ぶ上で貴重な博物館としての役割を果たしています。
カーメルミッションはサンディエゴの次に完成され、カリフォルニアミッションの中心的な役割を果たしていた最も美しいミッションです。モントレー郡には、カーメル以外にもSan Juan Bautista, Nuestra Senora de la Soledad(Mission Soledad), San Antonio de Padua(Mission San Antonio)があります。

詳しいミッションの情報は
こちらのページを参考にしてください。


有史前のカリフォルニア、モントレーに関してはCoyotePress社のウエブサイトに数々の研究論文、著書があります。


アメリカに最初に渡った日本人は土佐の(ジョン)万次郎です。1841年に鳥島で遭難中、アメリカの捕鯨船に救助され、アメリカで10年間の勉学後帰国。ペリーの黒船来航(1853年)の際は徳川幕府のアドバイザーとして仕え、中浜の名を与えられたのは有名な話です。
1854年に日米和親条約が結ばれ、1866年には旅券の発給が行われるなど、海外への日本人の興味は急速に加速されることになります。
1870年にサンフランシスコに領事館が開設され、1871年に岩倉具視が率いる50名の使節団が訪米しています。
1875年(明治8年)には大陸横断鉄道が開通し、カリフォルニアは高度成長期に入り多方面で人手が必要とされることになります。
1890年(明治23年)ごろからハワイ移民の、比較的渡航が自由で賃金水準も高いアメリカ本土への渡航が増大し、また日本国内でも農業制度の変換に伴ってマーケットから溢れた農民を中心に海外への出稼ぎブームが始まります。一方アメリカ西部ではサンフランシスコデルタなどの開拓事業に対する安価な労働力の需要もますます増大していきます。
1882年(明治15年)中国人排斥法の成立に伴い、労働力を日本に求める方向に時代は変化していきます。
1900年の第12回米国国勢調査では38人の日本人がモントレーに登録されています。その後の日系人の歴史は、戦争、大恐慌を経て今日に至りますが、一世の人達はすでに他界しており、二世、三世が歴史を引き継いでいます。

モントレーの日系移民の歴史に関する詳しい情報は
こちらのページにあります。


一世の人達がこの世を去り、彼らの貴重な体験や記録の多くが消失しようとしています。一世の子供や孫、三世、四世達は、祖父母や両親たちの苦労や成功の歴史を知らないまま育っています。日本国内の日本人であればなおさら、100年も前の日本人移民の歴史を知る機会はほとんどありません。
しかし困難な時代に日本を飛び立った先駆者たちの存在がアメリカだけでなく、今日の日本にも大きく影響していることは確かです。満足に生活できないという貧困が多くの日本人を移民に駆り立てました。日本は経済面では100年前より大きく成長したとはいえ、パイオニア精神など先駆者に学ぶことは多くあります。
たとえ短い観光旅行でも、そこに先輩達の歴史を知ることは、何らかの有意義なものを与えてくれるはずです。

全米日系人博物館(ロサンジェルス)は、日系アメリカ人の体験を伝えるアメリカで初めての博物館です。日系アメリカ人に関する遺品や写真、フィルム、文書などの広範囲にわたるコレクションがあり、様々な展示や教育プログラム、ビデオ、出版物の作製を通して日系アメリカ人の物語を全世界に伝えています。